オレは「常識的に」っていう言葉が嫌いだ。
一般的な人が共通に持っている知識は思慮分別を”常識”っていうけど、多様化社会になってこの”常識”もかなり少なくなってきたと思う。
90年代まではネットが普及して無くて、テレビや雑誌で流行は作られて、今流行の曲や人など流行っているのが好きなものって言う感じだったけど、今は人それぞれ好きな曲や人を自分で探す時代になったから、人それぞれ好きなものは違う。
流行が好きな人は、今の流行を押さえることが好きなのであって、流行っている中身が好きなわけじゃないから、ジャンル「流行」が好きな人たちはその湧くの中で常識ができあがっていく。
常識という知識でマウントを取りに来る人もいるが、その常識が他の人の常識と違う事も往々にしてあるだろう。
当たり前だと思っている事が常識なので、その当たり前に対して疑問を抱くことはないだろうし、自分の中では当たり前の事だから他の人の常識が異なっていたときに違和感や嫌悪感を感じてしまうのも無理はない。
しかし、常識なんて言う物は親の教育や生活環境の中で蓄積した先入観の塊にしか過ぎないと思う。
「常識的におかしい」
いったい何が正しい常識で、何が間違った常識なのかは誰にも判断することはできないだろう。
よく、高齢者が自分の時代の常識を一切更新せずに何十年と時代遅れな常識を装備し、若者の常識と自分の常識が異なることに対して、怒りや嫌悪感を感じて声を上げていることがある。
代表的な例であれば、昔は「電車で喫煙ができる」事は常識だったが、今は電車で喫煙なんてしたら殴られても文句は言えないくらい非常識な行為になっている。
他にも携帯電話の電波がペースメーカーに影響があると昔は考えられていて、優先席付近で携帯電話の利用を制限していたが、現在では影響がないことが確認されて制限はなくなった。
そんな現在でも優先席でスマホを操作していたら、高齢者に絡まれてトラブルになった話を聞く。
常識は時代と共に変化し、生活環境や親の教育によって違う物になっている。
今の時代は多様化社会として、それぞれの人が違う考え方をすることを前提に社会を構築しようとしているが、自分が理解できない事に対してはなぜか許すことができない人が一定数いる。
きっと自分の中での常識とあまりにかけ離れたことだから、理解ができないのだと思う。
日本だけでも1.2億人の人口があるということは、大げさに言えば1.2億通りの考え方や常識があると考えられる。
そんな膨大な数を全て理解することなんて不可能なのだから、理解するのではなく尊重するだけでいい。
オレには「プリウスがカッコいい」という考え方は理解できないが、同様に「GT-Rがカッコいい」という考え方が理解できない人も同じようにいるだろう。
考え方が違うときに、お互いに否定し合っていても疲れるだけなので、その情熱に対して敬意を払うだけで十分だし、みんな幸せになれると思う。
「みんなちがって、みんないい。」誰1人の考え方も潰されない時代がいつか来ることを願いたい。
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