5月23日、日付が切り替わる頃に各報道機関から日産が子会社の自動車部品メーカー大手「カルソニックカンセイ」の保有全株式を売却する方針を固めたというニュースが流れた。
カルソニックカンセイは日産系列の部品メーカーで、日産が株式の約40%を保有しています。カルソニックカンセイが取り扱っているのは自動車の空調や内装部品、電子部品などを取り扱っていて、2005年に日産が第三者割当増資を全額引き受け、日産の連結子会社にした。
日産が売却する理由は、こないだ資本業務提携で基本合意した三菱自動車への出資金やEV(電気自動車)分野への技術投資に資金を振り分けたいようです。
まず、株や投資にあまり興味が無い方は「カルソニック」というワードを聞けば、日本一速い男「星野一義」と連想してモータースポーツを思い浮かべることだろう。
ということで、今回は個人的に印象深いJTC、JGTCモータースポーツの歴史を一部振り返っていきたいと思います。
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1990年:全日本ツーリングカー選手権 「カルソニックスカイライン」チャンピオン
R32スカイラインGT-R(BNR32)がデビュー。全6戦ポールポジション・優勝の完全制覇を成し遂げる。GT-R見たさにこの年の全日本ツーリングカー選手権はどのラウンドも超満員。最終戦インターTECは主催者発表で87,500人と、WECを上回る動員を記録した。第5戦西仙台(現仙台ハイランド)からはオブジェクトTもGT-Rを導入し3台体制となった。ちなみにこのレース(第5戦)ではGT-Rが表彰台を独占した。 シリーズチャンピオンはカルソニックスカイラインの星野一義が獲得。
1993年:全日本ツーリングカー選手権 「カルソニックスカイライン」チャンピオン
このシーズンがグループAカテゴリー最終年。参加車両はR32スカイラインGT-R、BMW M3、AE101カローラレビン、EG6シビックの4車種だけになってしまったが、グループAラスト・イヤーと言うことで、どのラウンドもサーキットは超満員。最終戦インターTECは主催者発表で94,600人の大観衆を集めた。1960年代の日本GPを除けば、富士スピードウェイの観客動員最高記録である。
クラス1では7台中6台のGT-Rが勝利を収めたが、4勝あげたカルソニックスカイラインがチャンピオンに。ただし星野一義はMINEのF3000でクラッシュした影響で、翌週開催の第2戦菅生ラウンドを欠場。ドライバーズタイトルはチームメイトの影山正彦が獲得した。
1996年:全日本GT選手権 「カルソニックスカイライン」
2002年:全日本GT選手権 「カルソニックスカイライン」
R34GT-Rはデビューから4年目になります。2002年はRB26DETTをシーズン途中でV6のVQ30DETTに換装する事になりました。そして、全車がVQ30搭載型となった第5戦は、ザナヴィニスモGT-R(本山哲/ミハエル・クルム)が予選3位、決勝2位と活躍を見せたがこの年は未勝利に終わり、GT-RがGTレース参戦以来続けていた連続勝利記録が10シーズン目に途絶えた。
NISMOのもう1台カストロールピットワークGT-R(エリック・コマス/影山正美)、カルソニックスカイライン(星野一義、ブノワ・トレルイエ/田中哲也)も苦戦。第5戦をもって、スカイラインGT-Rとは切っても切り離せないドライバーの星野一義が現役を引退した。
カルソニックのモータースポーツ活動はどうなるのか?
カルソニックの歴史を振り返ろうと思っていましたが、星野一義選手の歴史のようになってしまいましたね。やっぱりスカイラインGT-Rというかカルソニックと星野選手は切っても切り離せない選手です。
そんなカルソニックですが、日産が全株売却をしてしまうと日産の子会社では無くなってしまうため、今後も日産車両でモータースポーツに参戦していくのか。他のメーカーの車両で参戦するのか。それとも、参戦を辞めてしまうのか分かりませんが是非今後も日産とモータースポーツで活躍していって欲しいと願います。
やっぱり、カルソニックスカイラインは格好いいね!
参考:nismo.co.jp,calsonickansei.co.jp
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